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2008年10月

2008年10月30日 (木)

マトリョーシカを描いて、本物を見た。

そろそろ年末が近くなってくると作るのが手帳です。何とはなしにマトリョーシカのお人形を手帳の表紙にしてみようかと思い、描いてみました。描くといってもどんなお人形だったか良く知っている訳ではありません。インターネットから実際載っているお人形を探してみて、そこから自分なりに膨らませて描きます。ネットにのっているお人形は(勿論、女の子と決まったわけではなく動物やら、兵隊さんやらもありますが)あまり可愛くないような気がしました。
下絵を描いて、それから紙を乗せていきます。だいたいお花を持ったりしているようですが、アヒルが丁度あったのでそれを持たせる事にしました。年上のお友達にお見せしたら「手帳の表紙にせずに、飾りに出来ないかしらね」とのアドバイス。それで、手帳の表紙にするのを止めてタイルに貼ってみることにしました。タイルは表面がツルツルなので両面テープとはとても相性が良いのです。田舎の素朴さを出すために茶色の木などの上に貼ると雰囲気が良いのですが、どうしても年輪の凸凹があるため、ピッタリと貼るのが難しいのです。作成している最中にアドバイスしてくださった方が、家にある本物のマトリョーシカを探して持ってきて下さいました。ネットで見たマトリョーシカより、ずっと可愛らしい姿です。中はどんなお人形がはいっているのかしら・・・とドキドキしてあけてみました。

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ひゃ~、顔が違うじゃない!同じ顔が金太郎飴の様に出てくるのかと思ったら。
しかも、一番大きいお人形さんは、細かく模様が描かれているけど、最後のお人形さんはちょっと可哀想・・。

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ちなみに一番大きいお人形さんの後姿です。エプロンのリボンまで丁寧に描かれています。

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お人形さんの足の裏にはロシア製である刻印が。
こんなに近くで本物を見られるなんて、ありがたいです。何でもマトリョーシカには、家内安全・子孫繁栄・開運の意味が込められていて、お人形がいくつも出てくるのは、何度も幸運が訪れるようにという事だそうです。
そして、素朴な娘ではなく、色白でマンガチックな私のマトリョーシカです。

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2008年10月23日 (木)

「初恋のきた道」をDVDで見た

中国語の授業は、DVDの鑑賞でした。「初恋のきた道」、アジアの宝石と言われている中国の女優、チャン・ツィイーのデビュー作品です。2000年のベルリン国際映画祭銀熊賞受賞作品。

ストーリーは、中国北部の寒村の村、華北に町から20歳の若い教師ルオがやって来る。彼に恋した18歳のチャオは、彼に思いを伝えるため様々な工夫を健気にする。学校に近い井戸に水をわざわざ汲みに行ったり、女達が持ち寄る料理をなんとか彼に食べて貰おうとしたりする。ルオが家の遠い生徒を送っていくと知ると、待ち伏せして遠くから姿を見つけるやさりげなく近づいたりもする。(“待ち伏せ”という歌があったっけ)
チャオは、盲目の母親と二人暮らしで貧しい。でも、ルオに会うときは大切な赤い綿入れを着て、そしてルオの姿を見つけると走る。ルオはそんなけなげなチャオの気持ちに気づくが、思想上の問題の為、町に強引に連れ戻されてしまう。でも、町に戻る時、ルオは「必ず戻ってくる」と約束する。その約束した日にチャオは、雪の中で待ち続け、肺炎にかかってしまう。でも、ルオとチャオはその後二年待ってようやく結ばれる。二人は40年共に暮らし、町でなくなった夫の棺を村まで運ぼうとチャオは言い、大勢の担ぎ手が必要だったが、吹雪の中を教え子達が駆けつけて無事に村まで戻ることが出来た。

ほとんどがチャン・ツィイーの片思いと健気なエピソードで綴られ、こんな一途な思いを寄せる人はいないかもと懐かしく思いました。
映画で面白かったのは、チャオの恋心を村長が知るのですが、村長が知ると村中が知ることになるという下りには1人で笑ってしまいました。
それと、教師が食事をする食堂が学校にないため、村人の家に食事を順番で食べに行くのですが、チャオの家にもルオが食べに来ます。その時、懸命に作った料理を盛って、ルオが食べたその大切なお茶碗の蓋をある時、チャオが割ってしまいます。ルオが村を去って、悲しむチャオ。その村に瀬戸物の修理屋さんがやって来ます。母さんは、瀬戸物修理屋さんに声を掛けます。金槌や釘を使って修理屋さんは、お茶碗の蓋を上手に直してくれます。修理屋さんは、修理を頼んだお母さんに「買ったほうが安くつくよ、誰か死んだ人のものですか?」と聞きますが、お母さんは「いえ、大切な人が食べた器だから、娘のためよ」というのです。瀬戸物を直す修理屋さん、初めて知りました。
私達の中国語の先生は女子大で教鞭をとっていますが、やはり大学でこの映画を見せたそうです。初めは「この男の先生、ダサい~」と言っていた女子大生達が最後の頃になると、二人の純愛に打たれ涙するそうです。やはりお年頃だからでしょうか。

たまたま、同じチャン・ツィイー主演の「女帝(エンペラー)」と言うのを見た後だったので、役柄とはいえ違いにびっくりでした。初恋にお下げをゆらゆらさせて走っていたチャン・ツィイーが、女帝のキャッチコピーでは“憎しみにくちづけ、愛に刺し違える”という名前に恥じない、したたかな女帝になっていたからです。年月は人を変える・・・?

ルオが40年勤めてきた学校の黒板の上には次の様に書かれていました。
好好学* 天天向上
来週から又、頑張ります。

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2008年10月16日 (木)

懐かしい仲間&乗せられたくない広告

10月から11月にかけて、なかなか会えない、かつての仲間と会う予定がいくつかあります。そのうちの第一弾。介護の講習を受けていた仲間との再会です。
この講習は3ヶ月間で、毎日ほとんど朝から夕方まで行われました。3人で会ったのですが、1人はヘルパーのベテランとして月曜日から土曜日まで働いています。もう1人は、介護度5のお母さんを自宅で介護しています。ですからなかなか会うことが出来ません。でも、この日は近況を語り合い、おおいに笑い、励ましあったり、アッという間に4時間が経ってしまいました。
ヘルパーをしている友人から聞いた話の中で、利用者の一人の「憧れるかっこ良かった(人生の)先輩」の話は素敵でした。独居で暮らしていたその利用者の方は、90才を越えているのに、ギョーザの皮まで手作りする元気な方。二軒後ろに息子さん一家が住んでいらっしゃるのですが、あまり普段交流がありませんでした。しかし自分の年を考えて、家の中はきちんと整理して、荷物もあまり置かないようにしていました。息子さんは、おかあさんが一人で好きなことをするのが合っているのだと思っていましたが、もう年なので有料老人ホームに入ったらどうかと色々パンフレットを持ってきました。結局、何軒かホームを見て手付けを入れようとした時、そのお母さんがポツッと「昼間は良いんだけど、夜が寂しいから・・」とおっしゃったそうです。それを聞いて息子さんは有料老人ホームへ入る事をキャンセルして、お母さんにこう言いました。「それじゃ、夜ご飯を食べに来て、泊まるようにしたら良いじゃない」と。それから夜になると二軒後ろの息子さんの家に夕ご飯を食べに来て、おしゃべりをして、夜はそのまま泊まり、朝帰るようにしたそうです。友人がヘルパーで伺うと「今が一番幸せ」と本当に嬉しそうにお話されていたそうですが、二週間後突然胸の痛みを訴えられ、入院して二日後に亡くなられたそうです。幸せと感じられて、身の回りもきちんと整理されて風の様に行ってしまったカッコいい先輩の話です。

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話は飛びますが、外出して駅のホームで電車を待っている時に見つけたコーヒーの看板です。
初めは-なるほどね-と思ったのですが、「う~む、待てよ」という気持ちになってきました。
特に右の言葉には引っかかる物があるように思えてきました。相変わらず働き過ぎの日本のサラリーマン。体を壊してしまっちゃ何もならないし、おかしい働き方はそろそろ止めましょうよ、と思うのですが・・・。日本人の自己犠牲は、過ぎると家族も壊すことになってしまうし、うつの原因にもなるでしょうしね。坂口健二のさわやかな顔とつらいキャッチコピーを前に「これからも経済的に良くない日本のサラリーマンや如何に・・・」と暫し思わずにはいられませんでした。 

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2008年10月 9日 (木)

「知っておきたい緩和医療」を読んで

尊厳死協会の会員になって数年経つと思います。会員になるとリビング・ウイルという小雑誌が送られてきます。病院の情報や講演会の抜粋など書かれていますが、今回のリビング・ウイルNo.131の中にあった松原アーバンクリニック(東京)ホスピス医大津秀一さんの講演(関東甲信支部年次大会)の記事には考えさせられました。

以下抜粋です。

二週間ほど前、八十代男性の肺がん患者が入院してきた。胸水が右の肺全体を覆っている。この患者は今年二月、大きな病院でステージⅥ、肺がんの末期と診断され、抗がん剤投与されたが効果がなかった。その病院では胸水を抜かなくてはと言われ、週一回胸に針を刺して水を抜いていた。しかし病状が進行して体力もだんだん衰弱し、家での療養も難しくなったため、僕が勤務するクリニックに紹介されてきた。男性はベットで寝たきりで息苦しそうで、「とにかく楽にして欲しい」と言う。長い間介護してきた娘さんの疲労も激しかった。それが二週間たったいま、普通にトイレに行けるし、散歩もできる。何をしたかというと緩和医療という医療である。この医療には針で胸水をぬかなくてもたまってこない良い方法がある。(略)娘さんも喜び、「先生、いったいどんなマジックを使ったんですか」と聞く。僕がしたことはたった一つ、点滴にある薬を混ぜただけである。それも高価な薬ではなく、保険で使える普通の薬剤だ。このようにちょっとした医療上の工夫で、患者の見た目の「元気の具合」がまるで違ってくる。患者が俄然元気になると家族もうれしいと思う。

さて、「希望どおりの最期」を実現するには、終末期を迎えるに当たり四つのことを知っておいたほうがいい。患者さんを診てきて私なりの経験則からのまとめでおそらくこの四つを押さえておけば「みじめでない死を迎える」可能性が高くなる。

四つの知っておくべき事
・苦痛の少ない最期を迎えるために必要な事・・・

・1病気の正しい理解
・2がん告知、終末期に対するシミュレーション
  及び家族との良好なコミュニケーション
・3緩和医療受ける事
・4望まない延命治療を拒否する事

緩和医療の「今」と「昔」がある。「がんを治しましょう」と抗がん剤治療をいていて効かなくなると、突然「緩和ケア病棟やホスピスに行ってください」と言われ、患者も戸惑うなかで緩和医療に急に切り替わる。これも「昔」の緩和医療(今もまだ多いが)とすれば、痛みや苦しみは最初から取り除き、緩和医療の比重を徐々に増やしていくのが「今」の緩和医療。日本のがん医療はこのようにならないといけない。
がんの患者さんの苦痛症状というと、痛み、だるさ、食欲不振、呼吸困難などがあり、お腹に水がたまったり足にむくみが出たりする可能性もある。この中で最も頻度が多いのは何だと思いますか。ちょっと手を上げて下さい。
(略)実は死の二週間でも痛みがでるのは全体の七十%ぐらい。約四人に1人程度は最後まで痛みが出ないのに対し、だるさや食欲のなさは九十%以上ほとんどの人に出る。(略)ここから導き出される緩和医療の使命は、病気の早い段階では主に痛みの緩和であり、その後の段階では痛みだけではなくだるさや食欲不振などの多様の苦痛症状を和らげることにある。その目的で使う薬剤として、医療用麻薬(モルヒネ等)、ステロイド、鎮痛補助薬などが挙げられる。

終末期の実例を見てきて思うことは、終末医療で一番大切なのは豊富かつ良質なコミュニケーションである。日本は「お任せします」に象徴される委ねる傾向が強い文化だが、「先生に」「家族に」と任せられた人が必ずしも同じ方針を考えているとは限らない。」

患者さんが苦しめば、周囲の家族達も後まで苦しむ事になる。教科書通りのどこで受けても同じ治療というのはもうやめて、その人にあった治療をしてくれる病院、医師を探したいと思いました。そして、家族とは年に一回でも終末医療に対する自分の意思をはっきり示し、つらいことでも話していける関係を築く必要性を感じました。

重い話題の後に、けなげなお花達の写真です。一つはヒルガオで、線路の中に咲いていました。もう一つはオイラン草。一度咲き終わったので切りそろえたら、又再び元気に咲いてくれました。

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2008年10月 1日 (水)

渋谷ぶらぶら散策とミレイ展

先日の9月30日。小雨が少し降っていましたが、9月も今日で終わりという日に、友人と渋谷のザ・ミュージアムで行われているジョン・エヴァレット・ミレイ展に行ってきました。
渋谷はほとんど行かないのでさっぱり分かりません。何か若い人の街(自分の決め付けですが)という気がして渋谷109というファションビルも素通り・・・。でも、忠犬ハチ公の像は一応写真に撮ってきました。見ると、外人の観光客の人達も記念写真を撮っていました。
そこから300メートルほど文化村通りを行ったところの、ヤマダ電機の玄関前に9月26日にお目見えしたのが、携帯電話のCMで「お父さん犬」を演じるカイくん(4才)の像です。
新聞の記事に載っていたので、こちらも写真を撮りました。身長も原寸大だそうで、真っ白の石膏製でとても可愛らしい像でした。

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前に見たのはいつのことか・・。こういう像だったのかと再認識しました。

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カイくんは、とてもリアル。北海道犬だそうです。雪の中だと目立たないでしょうね、真っ白だから。

この後ちょうど昼だったので、思いつきで、近くの“くじら屋さん”に入りました。注文したのは、ランチのくじらの竜田揚げ定食(1250円)です。
デパートの九州展などでは、くじらのカツなどを扱うお店がよく出店していますが、友人は九州出身なので昔からくじらには馴染みが深いようです。私は子供の頃、給食で食べた事がある程度です。昔、給食で食べたときは硬かった様に記憶していましたが、今回は専門店だけあって想像より柔らかかったです。メニューには、生で食べるたたきや、ユッケなどもありましたが、どんな味なのか想像できません。お味噌汁の中にもくじらの皮が入っていました。(友人の指摘です。私にはどれがくじらの皮なのか分かりませんでした)

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お目当てのミレイ展は程好い混み方でした。初期の作品の中には小さいのもあり、作品や解説を覗き込んで読んだりするので、お客さんがそんなに多くなかったので助かりました。
5ヶ月かけて背景を描いたとされている代表作「オフィーリア」は、その優れた描写から、この絵の前で植物学の講義がされたと言うほど緻密です。なかでも、衣服が水を含んで今にも沈もうかという刹那を捕らえた、不思議なほど静かな美しいオフーリアが強く印象に残りました。彼女の手元に浮かぶケシの花は死を、ひな菊は無垢を、パンジーは実らぬ恋を象徴しているそうです。それにしても、ミレイの息子さんや娘さんの愛らしい事・・・。
名声だけでなく、家族や友人にも恵まれた画家であった事が見ていて良く分かりました。

帰るバスの中で白いセーラー服の少女と座席が一緒になりました。冷え込んだこの日には、ちょっとその白が寒く感じられましたが、今日からもう10月、衣替えですね。

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